「平昌パラリンピックのアルペンスキー出場と日体大ラグビー部卒業、2つの目標を追いかける」野澤武史×本堂杏実さん

【今月の二枚目ラグビー人】
本堂杏実(ほんどうあんみ)さん

日本体育大学ラグビー部女子、日本体育大学スキー部所属。先天性全左手指欠損の障がいがありながら、4歳から川越ラグビースクールでラグビーをはじめ、高校時代は15人制関東女子代表。一昨年のピンクリボンカップでは、慣れないフランカーでの出場ながらMVPを獲得した。

第7回のゲストは、日本体育大学ラグビー部に所属しながら2018年に開催される平昌パラリンピック出場を目指す本堂杏実さん。先日IPCヨーロッパカップで初めて表彰台にのぼった”ルーキー”は、新たな挑戦に日々奮闘中だ。超過密スケジュールの遠征の合間を縫ってインタビューを敢行した。

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監督の言葉が、二枚目の名刺を持つことを後押ししてくれた

野澤:昨年、菅平でコーチングして以来だよね?

本堂:お久しぶりです(笑)、今日はよろしくお願いします。

野澤:まずは現在の活動について教えてください。

本堂:日本体育大学(以下、日体大)ラグビー部に所属しながらスキー部を兼部して、今はアルペン部門で平昌パラリンピック出場に挑戦しています。回転、大回転、スーパー大回転を今やっていて、滑降はまだやっていません。これからやりたいと思っています。

野澤:スキーは、経験があったの?

本堂:高校時代にスキー検定2級を取得しましたが、もともとは家族と行く程度でした。だから、まさかの展開で。(笑)

野澤:そうなんだ! 今はパラリンピックの強化指定選手なのかな?

本堂:パラリンピックの「次世代育成選手」という枠で活動しています。SAJD(日本障がい者スキー連盟)の育成選手です。平昌パラリンピックのアルペンスキーは5つの種目があり、それぞれの合計タイムで順位がつきます。そのうちの3種目で規定点をクリアしないと出場できません。

野澤:競技スキーでパラリンピックを目指す、というお話はどこ経由でもらったの?

本堂:SAJDの元理事長である野村一路先生からラグビー部に「パラリンピック競技に挑戦しないか?」というお話を頂いていたようです。「何やりたい?」と聞かれたので「スキーやりたいです」と話したところ、野村さんが「実は僕はスキーの理事長なんだよ。今度一緒に滑りに行ってみようか」というお話でとんとん拍子に事が進みました。

野澤:すごい決まり方!

本堂:その時は普通に滑っただけで、その後スキー部のコーチと1泊2日で滑りに行って、初めて大回転の板を履きました。そこでお昼を食べながら1時間くらい話しました。「平昌目指さない?」と言われたのですが、最初は「今から?」という気持ちが一番強くて。

野澤:そうだよね。

本堂:他の人に「今から始めて出られるわけないだろ? どれだけ甘い世界だと思ってんだよ」って見られると思いました。それに私はラグビーがやりたくて日体大に入り、日本代表を目指して15年間ラグビーをやってきたので、いきなりスキーに転向…というのは自分の中で決心がつきませんでした。でも、声をかけて頂いているということはチャンスなのだと思いましたし、それを逃したくないな、という想いもありました。いつかは一つに絞らないといけない日が来ると分かってはいたのですが、ラグビーも辞めたくなくて…。最初、古賀さん(日本体育大学ラグビー部女子監督の古賀千尋さん)に話すのも恐かったですね。

野澤:そうだよね。

本堂:怒られるんじゃないかと思っていたんです。中途半端な気持ちでラグビーに取り組んでいると思われるかも、と。でも、たまたま古賀さんと1対1で話した時に、スキーの話を持ち出すと「知ってたよ」と言ってくれて、「私も写真家とラグビーを両立していた時があったよ」と、背中を強く押してくれました。そこで「じゃあ、挑戦しよう」と、踏ん切りがつきました。

健常者と一緒にさまざまなスポーツを経験

野澤:ラグビーとの出会いは?

本堂:父親ですね。気づいたらやっていたと言う感じです。両親は私のことを、障がいを持っている子として育てなかったので、みんなと一緒にラグビーをやっていました。手がないからと言って特別扱いは全くなくて、男子と一緒に練習も試合もしていました。

野澤:なるほど。最初、菅平で杏実ちゃんをコーチした時、プレーを見ただけでは手に障がいがあるって分からなかった。

本堂:みんなそうおっしゃいますね。

野澤:しかも、ボクシングもやっていたの?

本堂:はい。テニスもやっていましたし、空手、器械体操、サッカーも。健常者と一緒になって、いろんな競技をやっていました。

野澤:なかなかボクシングはやらせないよね(笑)。ちなみに手の痛みとかはないの?

本堂:全く痛みはないんですよ。「パーン」てパンチします(笑)。小学校6年生の時に、本当はレスリングをやってタックルを磨きたかったのですが、近場にレスリングスクールがなくて、ボクシングを選びました。ありきたりなスポーツは昔から嫌いで

「納得したらそこで終わり」恩師の言葉で今がある

野澤:転機は?と聞こうと思っていたんだけど、最初からずっと本気だったんだね。

本堂:転機を挙げるとすれば、小学4年生の時、試合中にタックルで男の子を失神させちゃったんです。それで、お父さんに「関東ユースのセレクション受けてみないか」って言われて受けたのが転機です。合格し、月に1,2回練習をしながら、高校2年生まで関東ユースでやらせてもらいました。

野澤:なるほど。恩師から頂いた言葉で思い出に残っているのは?

本堂:実は高校生の時にラグビーを辞めようかと思った時期があって。

野澤:こんなに気合い入ってるのに!?

本堂:当時、7人制が始まった時期で、女子ラグビー界の流れが一気にそちらに傾いた時期がありました。でも、私は15人制がやりたかったんです。全国大会も全部7人制だし、代表にも選ばれないし…と嫌になってしまって。そんな時に出会った、当時千葉県立我孫子高校の教諭をされていた小泉幸一先生(U18女子関東選抜監督)が、「お前のタックルが俺は好きだ」と言ってくださいました。それで「見てくれている人がいるんだ!」と嬉しかったんです。友達に誘われて、半ばいやいや出た関東大会だったのですが、MVPをもらえて。それを選んでくれたのが小泉先生だったんです!

野澤:おお~、いいね!

本堂:小泉先生が「15人制も見てみたい」と言ってくださったのですが、それからですね、7人制だろうが15人制だろうがちゃんとセレクションを受けるようになったのは。ですから、小泉先生が恩師です。

野澤:小泉さんとの出会いがなければラグビーは辞めていたかもしれない?

本堂:はい。日体大にも行っていなかったと思います。

野澤:なるほど。素敵な出会いだね。

本堂:その小泉先生に頂いた言葉があって、全くうまくいかなかった試合の後に「全く納得いっていないです」と話したら、「納得したらそこで終わりだよ」と言ってくださって、「確かに!!」と思って。だから今も、スキーの育成選手仲間に「納得いってない」って言われたら「納得したらそこで終わりだよ」と伝えています。

野澤:なるほどー。しっかりパクッて。

本堂:(笑)。ちゃんと「私が言われた言葉だけど」って言っています! その言葉が一番グッときましたね。

野澤:この話になってから、杏実ちゃんの目が俄然輝いてるね(笑)。

幼少期の思い出は、スパルタの父のもとで繰り返した弟との生タックル

野澤:僕は、杏実ちゃんのプレーを「フランカーらしいフランカーだな」と思って見ていました。タックルしてジャッカルして、すぐ起きて。

本堂:自分では分からないです。父にも怒られることしかなくて(笑)。父は、だいたいビデオを撮ってくれるのですが、「フランカーはここにいないとダメだろ!」とか「ここでタックル抜かれたのは、これをしてなかったからだろ!」とか、ほぼダメ出しですね。

野澤:でも、理由を言ってくれるんだね。

本堂:小さい頃は、近くの公園で弟と生タックルの練習ばかりしていました

野澤:すごいね!!それ、オリンピック行く親子のパターンじゃない。よくテレビで見るよ(笑)。

本堂:芝がある大きな公園がって、お父さんがバーンとボールを蹴るんです。それを弟と奪い合ってタックルして、帰ってきた方が勝ち。これを休憩なしでバンバンやるんです。タックル抜かれたら怒られるんで、完全ガチ勝負です(笑)。

野澤:でも、トライは取れなくても怒られないんだ?

本堂:お父さん曰く「トライはお前の前の人ができるから、どうでもいい。でもタックルできるかできないかはお前次第なんだよ!」って。

野澤:フランカーの英才教育だね。

やるんだったらどれも本気!中途半端なことはしない

野澤:杏実ちゃんは、自分がハンディを負っていると感じたことはなかったの?

本堂:ないですね。生まれた時からなので、勝手に工夫しちゃうんですよ、無意識のうちに。

野澤:なるほど。

本堂:気づいたら、後ろで蝶々結びもできるし、髪の毛も普通に結べるし、という感じでした。でも、靴紐はお母さんが結べるまで待ってくれていたらしいです。手伝ったら終わりだから。おばあちゃんが手伝おうとした時も「やめて」ってお願いしてくれたみたいです。お母さんは本当に私を健常者として扱ってくれたし、障がい関係なく育ててくれました。そこは感謝していますね。そこで甘やかされていたら、もう何でもかんでも人に甘える人になっていたと思います。

野澤:お父さんにスキーをすると伝えた時、寂しそうな顔されなかった? 星一徹が、飛雄馬に「俺、バレーボールやるわ」って言われたら「何のためのギブスなんだよ!」って突っ込むでしょ。「大リーグ養成だぞ!?」って。

本堂:(笑)。そこは杏実が決めたのなら、と言ってくれました。

野澤:逆に、この後の人生のキャリアプランってあるの?

本堂:ラグビーは24歳で競技歴20年になるので、そこで区切りをつけようと思っていますスキーは来年の平昌を目指しつつ、その次の北京で優勝、もしくはメダルを目指したいと思っています。大学は日本体育大学ラグビー部として卒業したいので、4年の時はラグビーをもう一度やって、その年は全国大会で1位を取りたい。

今は平昌。そこまではスキーしか見ないようにしています。1年生の時、がむしゃらにラグビーをやっていた時のように、今はコーチの言うことを聞いてがむしゃらにスキーをするしかないと思っています。

野澤:お話を伺っていると、新しいことを幾つもチャレンジしているけど、最初に何か始めるとき、どんな気持ちで一歩目を踏み出しているの? 社会人になるとそれが怖くて、今の場所に戻ってきてしまうことがあるんだけど。最初にやる時、心掛けていることは?

本堂:中途半端なことはしない。やるんだったら一番上を目指すということですね。

野澤:原体験としてのご両親の教育が大きな影響を与えているんじゃないかな?

本堂:そうですね、両親ともにやるんだったら中途半場にやるな、と言う教えなんです。

野澤:日本のスポーツ界でスポーツ掛け持ちっていうのは珍しいよね。スポーツ界で今後、そうした2枚目の名刺って増えていくと思います? 古くは橋本聖子さん(スピードスケート・自転車競技)がいましたよね。

本堂:増えていくかは分かりませんが、私はどっちも本気でやりたい派です。だから、「中途半端」って思われるのが怖かった。でも、自分やりたくて自分が決めたことなので…。結局は自分じゃないですか。

野澤:こういうストーリーを聞いて、「自分もできるかも」と思ってくれる人が出てきてくれると嬉しいね。

コース取りに生涯を捧げた女性

野澤:スキーの魅力ってどこか感じたことあります?

本堂:個人競技なのでやった分だけ結果がついてくるし、ラグビーだと1試合が長いのでミスしても取り返せますが、スキーは1回ミスしたらゴールまでそのミスがつながっちゃうんです。ターンを1回ミスしたらそれがタイムに現れる。そこは個人競技としての魅力ですね。

野澤:1回大回りしちゃったら終わりだもんね。

本堂:短いコースだと40秒で終わってしまうんですよね。その中で様々なことが起こるんです。今、自分は1本目より5本目の方が断然タイムがいいんです。本当は1本目から行かないとダメじゃないですか。

野澤:経験がないから。

本堂:慣れてきて早くなったタイムを1本目に出すことができれば、一つ壁を越えられるかなと思うんですけどね。

野澤:話を聞いてると、コース取りってフランカーと一緒だね。フランカーもちょっと大回りしたら、相手に競り負けてブレイクダウンを制圧される。杏実ちゃんは「コース取りに生涯を捧げた女性」と言えるかも?

本堂:確かに! そうですね。ホント、コース取りは訳わかんないです。スタートしたら頭真っ白になってしまって、余裕がないんですよね。ラグビーと違って始まったら考える時間がない、と言うのもスキーの特徴かな。

野澤:より準備が大事になる。

本堂:なるべく疲労を残さない、と言った体のメンテナンスも含めて、準備がモノを言いますね。

野澤:持ち前のガッツで競技スキーでも活躍されることを楽しみにしています!今日はどうもありがとうござました。

杏実ちゃん、忙しいところ時間を作ってくれてありがとう!一度決めた目標に「言い訳なし」でグイグイ邁進する勇気、尊敬します。もう、やるっきゃないね! 杏実ちゃんの夢が叶うことを祈っています。いつか、お父様とも一緒に飲んでみたいな。タックラーの育て方について、議論したい(笑)。
写真:松岡千草
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野澤武史

野澤武史

歴史教科書で有名な山川出版社で経営に携わる一方、日本ラグビーフットボール協会リソースコーチとして若手選手の強化・発掘を手掛ける。テレビ解説や、新聞・雑誌ので執筆も行い、著書には『7人制ラグビー観戦術-セブンズの面白さ徹底研究』(ベースボールマガジン社)がある。グロービス経営大学院卒業(MBA取得)。