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この連載は、日本ラグビーフットボール協会コーチで解説者でもある野澤武史が、ビジネスとスポーツ界の両方で名刺を持つ二枚目な人々にスポットライトを当ててインタビューするものである。彼らの活動を通じ「“2枚目の名刺”の成功要因とは何か」を探っていきたい。

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【今回の二枚目ラグビー人】

渡瀬裕司(わたせゆうじ)氏

_DSC2782_original1963年3月3日生まれ。1986年に所属していた慶応義塾大学ラグビー部にて大学選手権、日本選手権優勝。大学卒業後、日本および外資系の金融機関に勤務しながら慶応義塾高校や慶応義塾大学のラグビー部コーチ、監督およびゼネラルマネージャー(以下、GM)として活躍。2016年よりジャパンエスアールDeputy CEO。

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2019年にワールドカップ自国開催を迎える日本ラグビー界。連載1回目の今回は、世界最高峰のリーグである「スーパーラグビー」に昨年から参加した日本チーム「ヒト・コミュニケーションズ サンウルブズ(以下、ヒトコム サンウルブズ)」を運営するジャパンエスアール(以下、JSRA)の代理CEO・渡瀬裕司氏に話を聞いた。金融業界に身を置きながら、ラグビー界で2枚目の名刺を持ち続けてきた渡瀬氏。そんな渡瀬氏が2枚目の名刺から得たものとは? 慶応義塾大学ラグビー部の現役時代、のべ4年間にわたり渡瀬氏の指導を受けた野澤武史が渡瀬氏のキャリアの裏側に迫る―。

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ラグビー日本代表候補から一般企業に就職

野澤:指導者としてラグビーに関わり始めたのは、慶応義塾高校のコーチが最初ですか?

渡瀬:いいえ、その前に慶応義塾大学のコーチをしていました。自分自身が高校、大学とラグビーをしていて、「ラグビーはもう二度と嫌だ」と思い(笑)、大学4年の春にラグビー部のない銀行に就職することを決めていました。それがふたを開けてみると、そのシーズンはチームが強くて、社会人にも勝ち、日本選手権で優勝し、日本一になってしまった。そこからとんとん拍子で日本代表候補のスコッドに選ばれました。そんな中で企業に就職することに自分の中でも葛藤があったのですが、大学を卒業して一ヶ月後に「慶應の現役—OB」の試合中にタックルされて太ももを複雑骨折してしまった。これが人生の中で大きなターニングポイントになりましたね。

 

社会人2年目で“コーチ”という2枚目の名刺を持つことに

野澤:ラグビー選手として道を究めることはそこで断念したわけですね。

渡瀬:そうですね。銀行に入ってから一生懸命に仕事をしていたら、私がお世話になった元慶応大学蹴球部監督の故・上田昭夫さんから「大学のコーチをやってくれ」と声が掛かって、社会人2年目の頃に大学のコーチを引き受けました。高校の監督になったのはその後ですね。その時は後先を考えずに直感で引き受けました。

野澤:それが渡瀬さんにとって「2枚目の名刺」の始まりですね。

渡瀬:今振り返るとそうなります。大学のコーチ、そして高校の監督を経て、大学の監督を引き受ける前に転職を決めました。日本の銀行で働いているとラグビーに割ける時間が少ないので、成績を上げさえすれば時間の融通が効く外資系の企業に転職して、仕事とラグビーの監督業を両立していくことにしました。

野澤:そのあたりからどっぷりラグビーに?

渡瀬:そうしようと思ったのには理由があって、「慶応の監督になる方が一部上場企業の社長になるより難しい」と親父に言われたのです。「社長になる可能性よりも監督になる可能性の方が少ないので、絶対にやるべきだ」と。数少ない親父の名言ですね(笑)

 

両立のための転職とタイムマネジメント

野澤:なるほど。お父さんの名言が後押ししてくれたのですね。転職は監督の話があってから考えたのですか?

渡瀬:そうです。日本の銀行で働きながらだと時間がなく、監督の任務は務まらないと思ったので決めました。監督になってからは14時練習開始の日は午前中に仕事をして、12時頃に大学のある日吉のグラウンドに行き、練習前ミーティング。練習後も振り返りのミーティングをしてから21時頃に会社に戻り、帰宅後はビデオチェックをする、という日々でした。

野澤:この時期の渡瀬さんにとって、1枚目と2枚目の名刺はもはや入れ替わってますよね?

渡瀬:一日の使い方は時間で分けていました。この頃の働き方が自分をマネージする良い経験になりました。監督としての任期を終えた後、スイスの銀行に転職し、100人くらい部下のいる東京のヘッドを任されましたが、大学の監督をしていた経験が活きましたね。

野澤:渡瀬さんの「切り替え」はひとつのスキルだと感じます。

渡瀬:私はラグビーでストレス発散することはできない。試合に負けた後は仕事のパフォーマンスも落ちてしまう。やる気が出なくなってしまうんです(笑)。逆もまた然りだから、両方でやる気が出るように試合にも勝たなきゃならないし、仕事も成功させないといけない。切り替えというよりもそういう追い込み方ですね。どちらかというと自分を追い込むことが好きなのかな。

 

“自分にしかできない”2枚の名刺を両方成功させたいという思い

野澤:2枚目の名刺を持って活動されている方の中でも、特に渡瀬さんはどっぷり入られる方だと思うんです。

渡瀬:どっぷり浸からないと、選手に僕の気迫が伝わらないですから。

野澤:なるほど。確かに本業外のことを片手間でやることはできるけれど、中途半端になってしまう。そういった部分で葛藤を抱える人も多そうです。

渡瀬:ふたつのことを掛け持ちする人は、両方で成功したいと思っている欲張りな人。私も欲張りだと思うし。一方で私は「僕じゃなくてもいいでしょ?」と思う仕事は受けない。スイスの銀行を辞めてフルタイムで慶應大学ラグビー部のGMをしていた時期に、他の金融機関から勧誘されましたが、「僕じゃなくても他に代わりはたくさんいるでしょ」と思ってお断りしました(笑)

 

たわいもない時間が、かけがえのない宝物だという気付き

野澤:2枚目の名刺には、1枚目の名刺と同時並行させるパターンと、ある一定の期間をどちらかの名刺に100%傾けるパターンがあると思います。渡瀬さんは後者だと思いますが、その割り切り感、スパッと感がすごいと思うんです。

渡瀬:そうかもしれませんね。

野澤:自分の仕事に対する決断力に秀でていると感じます。

渡瀬:「やる時にはとことんやる」というのは、外資系の会社で鍛えられたのかもしれませんね。

野澤:損得勘定が自身の判断に影響を及ぼすことはないのですか?

渡瀬:最初に高校の監督をやっていた時は、ある種“自分のため”である部分もあったと思います。当時の「仕事とラグビー監督の両方の立場で成功したい」という気持ちには、自分もそういう境地に立ってみたいとか、自分も何かを得たいというところもあった。でも今思うと「自分の役割から何かを得たい」という気持ちはだんだん薄れていき、「ここを良くしたい」「次の人につなげたい」という気持ちが強くなっていったように思います。同じ2枚目の名刺でも違いましたね。最初の時の方がギラギラしていました。

野澤:ガツガツとした欲は、年齢とともに剝がれていくのでしょうか?

渡瀬:欲があることが悪いとは思いませんが、後から振り返って「何が自分にとって大事なことだったのか」が見えてくるというのはありますね。私にとってラグビーにどっぷり浸かれたかけがえのない2年間は、“やり遂げた”という達成感があり、とてつもない宝物です。結果云々ではなく、たわいもないことやくだらない話をしたことが自分にとっては大事な時間だった。高校の監督としては勝って、大学の監督としては勝てなかったけれど、2枚目の名刺を持ってチャレンジしたことは、本当によかったと思います。

 

「自分だったらこうする」という妄想が、現実につながる

野澤:話は飛びますが、渡瀬さんの2枚目の名刺を持つきっかけは“頼まれてやる”というパターンが多いと思います。能動的に仕掛けるということはないのですか?

渡瀬:自分の中ではやりたいという気持ちはありましたよ。自分がやりたいなと思っている時に話が舞い込んでくる。妄想癖はないけれど、たとえば「監督の話が来たら、僕だったらこうしよう」みたいなことはよく考えてました。

野澤:それはもう十分妄想に分類されると思いますよ(笑)。「妄想せよ!」も2枚目の名刺を持つ上でのキーワードですね。

渡瀬:妄想することは大切ですね。

野澤:それが言葉や行動に出たりして、巻き込み力になる気がします。いい妄想ができると、準備の意味合いが変わるし、質が変わる。

渡瀬:そうかもしれませんね。

 

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野澤武史

野澤武史

歴史教科書で有名な山川出版社で経営に携わる一方、日本ラグビーフットボール協会リソースコーチとして若手選手の強化・発掘を手掛ける。テレビ解説や、新聞・雑誌ので執筆も行い、著書には『7人制ラグビー観戦術-セブンズの面白さ徹底研究』(ベースボールマガジン社)がある。グロービス経営大学院卒業(MBA取得)。