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大阪で、ユニークな取り組みをしている中学校教員がいる。

自分のまわりにいる“面白い人”を呼び、話をしてもらう。その話を自分だけのものにせず、周囲から聴講者を募り、皆と共有する場を作っているのだ。

その第4回の講演に、「2枚目の名刺Webマガジン」で「野澤武史のゴリ押し!」を連載した野澤武史さんが登壇する、しかも「なぜ、僕は2枚の名刺で戦うのか。経営とラグビーをつなぐもの。」というテーマで、というのでお邪魔した。

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野澤武史さんの2枚目の名刺

野澤武史さんは、1979年、東京生まれの38歳。

歴史の教科書でおなじみの「株式会社山川出版社」の代表取締役副社長、これが1枚目の名刺だ。

元プロラグビー選手(神戸製鋼コベルコスティフース所属)であり、現役引退後は2枚目の名刺として、ラグビー界の若年層の発掘・育成を担当。現在、「日本ラグビー協会技術委員会ユース戦略室リソースコーチ」の役を担っている。

その他、高校ラグビー・トップリーグ・スーパーラグビーなどの解説や執筆、この「2枚目の名刺Webマガジン」での連載をしていたり、水府学院(茨城県にある少年院)でラグビーによる教育活動をしたりしている。

現役引退を境に彼の中での「ラグビー」は、1枚目から2枚目へと“名刺”としての順番は変わってはいるが、切っても切り離せないライフワークとして存在し続けているのだ。

 

野澤さんは講演の冒頭でこう述べた。

「経営の仕事でも、ラグビーの仕事でも、“世界で戦うタフな若者を育てる”ということを自分の信条として、今は活動しています」

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「挫折体験」からのMBAとの出合い

幼稚舎から慶応で学び、慶應義塾高校、慶應義塾大学のラグビー部に所属していた野澤さんは、大学2年時に大学選手権優勝。21歳にして日本代表に選出された。

21歳で日本代表に選ばれる選手はほとんどいない。しかも幼稚舎からの慶応出である。よほど華やかで順風満帆な競技人生を送ってきたのかと思うだろう。しかし、そうではなかったようだ。

野澤「21歳の時に日本代表に選ばれました。でも、僕にとってそれが最後の“日本代表”だったんです。それに、ドラフト選考1位で神戸製鋼に鳴り物入りで入ったのに、7年間で29試合しか出ていない。本当にうまくいかなくて、親に対しても、応援してくれた人たちにも期待を裏切ったようで申し訳ない。そんな気持ちで引退しました」

選手引退後もさらに試練は続いたようだ。

野澤「引退後、土日と夜を使って、パートタイムで慶応ラグビー部のヘッドコーチをしました。でも2年間で結果を残せず、辞めることになりました。どうしてもうまくいかないと、悪循環に陥っていました。33歳の時です」

思うように結果の出せなかった現役時代。そして、指導者時代。その頃抱えていた「悪循環」の種は次の3つだったと、野澤さんは振り返る。

1)固執する

2)ゼロサム思考に陥る

3)過去を引きずる 

野澤「僕の場合は、21歳の頃の成功に固執してしまっていました。『こうやって自分は日本代表になりましたから』って、人の忠告に耳を貸さなくなっていたんです。そして、できるからやる、できないからやらない、といった風に100か0かという判断しかできなくなっていました。そうすると、新しいチャレンジができなくなってしまうんです。 

さらには、自分の成功経験だけを頼りに、ここはうまくいったから掘り下げよう、と得意な部分だけをどんどん掘り下げてしまっていた。そうすると、いつの間にかゴールと手段が入れ替わってしまうんですよね。何のためにラグビーをやるのかではなく、ラグビーをやる、試合に出る、ということが目的になってしまっていたように思います。」

 

もしかすると、これらの根底にあるのは、「(成功を手にした自分が)失敗できない」「どうしても失敗したくない」という切羽詰まった思いなのかもしれない。同じような体験をしたことがある人、今まさにこうした悩みの渦中にいる人もいるだろう。「これが自分の必勝パターンだ」とばかりに、過去の成功体験に倣い、うまくいかなくなると心が折れてしまったり、自暴自棄に陥ったり。一度成功を手にすると、その実績とプライドを維持することは、なかなか困難だ。

負のスパイラルに陥った野澤さんの苦悩は計り知れない。

では、どのようにして、この悪循環を断ち切ったのだろう。

野澤「ヘッドコーチをクビになり、相当悔しかったんです。そんな時、参加した飲み会に居合わせた先輩に、『お前、ゆくゆくは経営をやるんだろ? ならまずはMBAでもとったらどうだ?』と言われて。MBAのことをよくわからないまま体験会に参加し、会社で働きながら平日の夜と土日の授業に3年ほど通い、MBAを取得しました。これが転機となりました」

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人生を変えた3つの言葉

野澤さんは自身の転機となった言葉として次の3つをあげる。いずれも経営大学で得たものだ。 

1)「だからあんたは経営者として成功できないんだ」

野澤「これは、クラス40人くらいの前で先生に言われた言葉なんです。しかも目の前で。僕が先生の質問に対して、『どっちでも取れるんじゃないですか?』というような回答をしたんです。そしたら、『主語のないことを言うな。どちらか言い切れ。それが経営だろ、経営者だろ。それはできないから、あんたは経営者として成功できないんだ』と。その言葉が、スッと腹に落ちたんです。ヘッドコーチとして勝てなかった理由がわかりました。逃げてたな、と。未来のことなんて何もわからないけど、決断することが大事だったなとその時気づきました」

 

2)「できない自分を受け入れなさい、理想の自分をあきらめなさい」

野澤「『理想を追い求めることは諦めなくてもいいけど、格好良い自分やできる自分は、今を以って諦めなさい』という話を聞いた時に、何て自分は見てくれを気にしていたんだろうと思いました。本当に自分はそのチームで何かを成し遂げたくてやっていたのか、それともただ慶応のヘッドコーチがやりたかっただけなのか。見た目よりも、自分がどうありたいかを考えることの大切さをすごく感じました」

 

3)「あなたの悩みって大したことないですよね」

野澤「これは仲間から言われた言葉です。それまでの僕は本当に悩んでいたんです。21歳で日本代表になり、22歳に慶応のキャプテンになった。それなのに、プロの選手としてもヘッドコーチとしても結果を残せなかった。でも、他の人の悩みを聞いたら、とても壮絶で。家庭のことや会社のことで悩んでいる。『あなたの悩みって大したことない』『全然大丈夫だよ』って言われた時に、みんな当たり前に悩んでいるし、失敗するのも当たり前なんだと思えたんです」

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レポートに追われ、不眠不休の日々。3時間にも及ぶ討論を中心とした授業。学ぶべき知識も多く、楽な大学生活ではなかったが、そこで学んだことよりも、こうしたこれまでの自分を覆す言葉の方が、深く記憶に刻まれていると野澤さんは言う。

 

新しい場所、新しい学びが突破口に

想像するに、年少の頃よりエスカレーター式の学校で学び、ラグビーに専念する日々。出会う人はラグビー関係者や似たような境遇の人が多かったのではないだろうか。

その世界から初めて「越境」して見えたポイント、悪循環を断ち切るための処方箋となった3つの考え方を野澤さんは示してくれた。

1)「固執」への処方箋→拡大解釈してみる

野澤「自分がこういう人間だというのを、もう少し視座の高いところから見てみるという力が身につきました。自分の軸は変えなくとも、物事の解釈や実現する方法が様々にあることを学びました」

 

2)「ゼロサム思考」への処方箋→smallスタート

野澤「僕は、過去の成功体験に足を引っ張られてしまい、日本代表にならなきゃいけない、ワールドカップに出なきゃいけないという意識を持ってしまっていました。でも、不完全でもいい、まずは小さく始めて、動きながら修正していけばいいということに気がつきました」

 

3)「過去に引きずられる」への処方箋→ゴール思考

野澤「未来のありたい姿をイメージして、ゴールを決める。そしてそのために必要な手段をとっていく。この順番で考えれば全く問題なかったということがわかりました」

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これまでとは異なる環境に飛び込み、自分や起きた事象に対する見方に幅ができたことが、野澤さんを負のスパイラルから脱却させたことは間違いない。

MBAを成績優秀者として卒業した野澤さんの変化に対する評価の声は、社内からも聞かれたという。

野澤「MBAって、一般の方にはもちろん、スポーツ選手にもすごく有効だと思います。もちろん、MBAという資格を取るコトではなく、その過程。大人になってビジネスと接しながら、自分の思考を整理することができる。自分の場合は、知識を掘り下げる時に、一つのことだけを深く掘り下げるのではなく、その周辺の領域にまで範囲を広げられるようになったことで、“答えのない答え”を絞り出せるようになりました。違った分野の知識を行き来させることで、物事がうまく回るという経験もしました。こんな経験が、社内の360度評価にも表れ、『日々良い意味で裏切られている。戦略に伏線が仕込んである感じ』と言ってもらえるようになりました

 

「経営とラグビー」2枚の名刺で戦う野澤武史の流儀

“世界で戦うタフな若者を育てる”ことを軸に、山川出版社の副社長でありながら、ラグビー界でも精力的に活躍している野澤さん。彼が見据えるゴールは今、どこにあるのだろうか。

野澤「『プロフェッショナル仕事の流儀』に出てくる人たちのように、一つのことを極めて、その世界でトップに立つことはできませんでした。彼らが大きい船だとすると、僕は小舟のようなものかもしれません。でもMBAで思考の鍛錬をつんだことで、もし自分の船がイカダだったとしても、いろんなものを乗っけて、それらを掛け合わせれば、“世の中に対して価値を出していく”といった意味で、大きい船と肩を並べられるんじゃないか、そう思うんです」

 

山川出版社で質の高い教科書を作ること、一人でも多くの若手ラグビー選手を育てること、それらを掛け合わせることで、野澤武史オリジナルの価値を世の中に生み出していく。

野澤「あるやり方がダメでも、他のやり方を探る。やる前から諦めずに、ちょっとやってみる。人のアドバイスに耳を傾け、自分からアクションを起こしてみる。そうして『プロフェッショナル仕事の流儀』にも引けを取らない、自分スタイルを探しているところです」

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はしもと ゆふこ

はしもと ゆふこ

2枚目の名刺webマガジン編集者。 出産を機に出版社を退職し、ママ向け雑誌や広告、Webメディアなどで編集・ライターとして活動している。