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35歳で死を宣告されたビジネスマンが見つけた、「がん患者の未来を創る」というライフワーク

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人材紹介会社で営業の仕事をしながら、がん患者をつなぐSNSを運営されている西口洋平氏。仕事に情熱を傾けてきた熱血ビジネスマンが、なぜ仕事以外の活動も始めたのか。そしてそこから、何が生まれるのか。西口氏にご自身のストーリーを寄稿いただきました。

はじめまして、西口洋平と申します。この度、2枚目の名刺webマガジンに寄稿させていただきました。実は私、今、人材紹介会社で営業として働きながら、別の活動にも取り組んでいます。それは、がん患者を繋ぐSNSです。

これまでは営業一本でやってきたのですが、ワケあって時間外の時間を活用してこのようなサービスを立ち上げることになりました。

なぜか?私が35歳という若さで胆管がんを発症したからです。

病気になる前、自他ともに認める体力自慢の営業マンだった。

西口さん 2
小学校から始めたサッカーを、大学まで続け、高校と大学ではキャプテンを務めました。当然、体力には自信があり、就職活動では大きな会社ではなく、ベンチャー企業で遮二無二なって働く道を選ぶという決断をしたのも、体力に自信があったからです。

新卒では希望通りベンチャーに入社できました。小さなオフィスから仕事がスタートし、旧式のトイレ、ドアノブに差し込むタイプのカギ、来客スペースはなし。5人からスタートした大阪オフィスは、2年目には10人、3年目には20名を超えるなど、順調に会社は大きくなっていきます。

4年目には私は東京へ転勤し、マネージャーとして30名の部下を持つほどになりました。その後も、会社は成長し続け、入社当時は60名程度だった従業員数は、7年目には1,000名ほどの組織になるほどに。もちろん上場も経験し、飛ぶ鳥を落とす勢いで会社は伸びていきました。

私自身も寝る間も惜しんで働いて。会社に泊まったことも数知れずですが、それが楽しかった、とにかく楽しかったんです。

人材業界でしたからリーマンショックで部下にリストラを通告する経験もしました。関連会社への出向も含め、紆余曲折の人生でしたが、新規事業への参画、子会社への出向・転籍など、仕事はとにかく充実していて。正直に言いますが、そこそこのお給与もいただいていました。

そして35歳になり、社会人として脂が乗ってくるタイミング。より大きなミッションを任され突き進む、そのはずでした。

たった二文字の“単語”が、僕を地獄に放り投げた。

西口さん ③

2014年の夏ごろからですかね。体調が常におかしく、食べものによってお腹を下しやすくなったんです。原因不明の下痢がずっと続き、体重も気付けば5キロ以上マイナスに。

「なんだかおかしいな」と思い、2015年の初頭に近所の病院へ行くと、すぐに検査入院するように告げられました。複数の検査をこなし、主治医から神妙な面もちで言われたのは、胆汁が流れる胆管というところにできた悪性腫瘍の可能性。状況をのみ込めず、ふと出た言葉、今も覚えています。

西口「悪性腫瘍?それって何ですか?」
主治医「・・・がんです」

この二文字を聞いた瞬間、頭は真っ白になりました。たった二文字の言葉で人間はどん底に落ちるのだなと。もう、命を奪われたような気持ちになりました。すぐに母親に電話しましたが、言葉にならない、嗚咽が止まりません。

脳内はパニック。
「死ぬのかな?」
「お金はどれくらいかかるのかな?」
「子どもどうなる?」
「家族のこと、どうしよう」

child
仕事は?保険は?食べ物は?生活は?不自由になるのか?痛いのかな?髪の毛抜ける?海の見える家で死にたいな・・・こんなことを、もう、いろんなことを考えましたね。

ちなみに症状を詳細にお伝えすると、状況はステージ4。5年生存率は数%という、いわゆる末期ガンです。

すぐに手術となりました。しかし、神はどこまで僕に試練を与えるのか。開腹をするものの、もともとの部位だけではなく、腹膜、リンパ節への転移があり。場所的に、がんを切除することができなかったのです。

残されたのは、抗がん剤のみ。「絶対に、絶対に乗り切ってやる」、そんな強い思いを胸に、壮絶な闘病生活がスタートします。

「一緒にがんと闘う、悩みを共有できる仲間がいない」という、自分が感じた悩みを解決したい。

西口さん 6

結論からお伝えすると、幸い、僕は生きています(笑)。2015年2月の手術後、4月には仕事に復帰し、通院治療を現在まで続けています。幸い、際立った進行は見られず、抗がん剤が一定の効果を上げているようです。ほんと、医学の進歩ってすごい!

ちなみに病名を宣告された直後の話ですが、何もないところに、いきなり「がん」というものが飛び込んできて、ふと感じたのが、「仲間はいないのか?」ということでした。

同世代の同じような境遇の仲間の話を聞きたい、相談したい、確認したい…ただ、自分の周りにはいないし、入院している病院にもいなし、聞いたこともない。でも、ネットでデータを調べると、若いがん患者はたくさんいるということがわかりました。

「僕と同じように、仲間を探している人がいるかもしれない」
「僕と同じように、人知れず孤独な戦いをしている人がいるかもしれない」

そんな人間が集って、仲間になれば考えを前向きにさせるかもしれない。そこで仲間を検索し、仲間とコミュニケーションが取れる、コミュニティサービスをつくろうと考えた。それが、「キャンサーペアレンツ(cancer-parents.com)」です。

がん患者が、がん患者を支える世界をつくる。将来、それをビジネスへ。

西口さん 5
人はいつか死にます、絶対に。それはみんなわかっている。ただ、それを医者に「あなたはいつか死ぬ」ということを面と向かって言われるのは、相当つらいです(笑)。しかも、若い時に。

もちろん、死を強く意識しました。しかし、自然と考え方はシンプルになって、「やりたいことをやろう。そして、自身が感じた不の解消を、使命として行動に移そうと」と、心に誓えたのです。

例えば、長年行けていなかった家族との旅行、友人との時間、子どもとの会話など、とにかくやりたいことをやりました。そしてそれが今の僕の中で、かけがえのない思い出になっているのが分かりました。

そして、「誰かのために何かをしたい」という想いを強く抱くようにもなったのです。「キャンサーペアレンツ」を通じて、ピア(仲間)サポートの輪が広がり、一人じゃないんだということを伝える。そして、困ったときには仲間がいるという安心感を抱いて欲しいと思っています。

仲間が前を向いている姿を見て、「自分も負けないぞ!」と感じてほしいと思っています。そして、この取り組みをビジネスにし、このコミュニティを継続させたいと強く考えている。そのために闘病しながら、今の仕事を続けながら、サービスの充実、PR活動とともにビジネスモデルの開発にも着手しているところです。

がんになって働きたくても働けない方々に、ゆくゆくはこのビジネスを通じて、働ける場を提供すること、これが今の僕の夢です。

がん患者が、がん患者のためのサービスに携わる。それがボランティアではなくビジネスとして成立するビジョンが実現できれば……これ以上、素晴らしい取り組みはないのではないでしょうか。

是非、僕の活動を応援してください!絶対にやりきります!!!ぞす!


西口洋平/プロフィール
1979年生まれ、大阪出身。神戸商科大学(現:兵庫県立大学)卒業。エン・ジャパン株式会社に新卒1期生として入社し、関連会社への出向、子会社への転籍などを経て、現在に至る。一児(7歳)の父であり、両親も健在。
2015年のはじめ、ステージ4の胆管がんであると告知され、そのときに強烈に感じた孤独感。仲間がいない。話し相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。それなら自分でやってやろうと、インターネット上でのピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ」を2016年4月に立ち上げる。
現在も抗がん剤による治療を続けながら、仕事と並行して、精力的にこの活動を続けている。

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カメラマン

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後藤 亮輔
ライター
サムライト編集部