四肢欠損の子がくれた最高の祝福②「娘がもたらした強さと穏やかさ」

はじめに

私こと、長濱光は、下肢欠損の娘(Mia)を抱える父親です。1枚目の名刺は、スペインでExecutive MBAを学ぶ学生であり、東京でも働くビジネスマン。弁護士を目指すカナダ人の妻ステファニーと娘のMiaとともにモントリオールで暮らしています。そんな私たちが下肢欠損の娘を授かって感じたことの一つに、「世界と日本における四肢欠損の方の暮らしやすさの違い」がありました。

内閣府によると、日本に14万2000人いる(845人に1人)と言われている四肢欠損。身体障害者は360万人(33人に一人)います。でも街で見かけることは、あまりないのではないでしょうか。

「障害を持つ人が街にいることは当たり前のことなのに…」
「四肢欠損の人に平等な機会のある社会を作りたい」

こうした想いをきっかけに、私たち夫婦は、日本で四肢欠損の人々をサポートするプロジェクトを立ち上げたいと思うようになりました。

この連載では、私たちがプロジェクトを立ち上げるまでの過程と、そこで見聞きしたこと、体験したことを、私たちの視点で発信していきます。

そう、私たちの「2枚目の名刺」の始点として。

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妊娠初期の生活

みなさんこんにちは。私はMiaの母親のステファニーです。

私は、Miaを妊娠していることがわかったときから、これ以上ないほどに注意を払って暮らすようになりました。妊娠3ヶ月の時にバンコクに滞在していたときには、摂氏30度以上という気候の日々の中、あらゆる細菌の感染を恐れて、コンドミニアムにあるプールでの遊泳もおこないませんでした。

サンフランシスコ経由でバンコクからカナダへ飛行機で帰国したときも、飛行機の揺れによる流産を避けるため、着陸の際には中腰の姿勢で座るようにしていたほどです。

あまり細かいことを気にしない私には、多大な努力と自制心が必要でした。

失望の嵐

妊娠17週目の検診のとき、担当のお医者さんが夫と私に「Miaの片脚のほとんどが欠損している」と告げた時は、まるで失望の嵐が突然やってきたような気分でした。今までの人生で、これほどのショックを受けた経験は過去に一度もなかったのです。

「いったい、私の何が悪かったのだろう?」

私は、妊娠がわかってからこれまでのことを振り返りました。お酒やタバコ、薬、コーヒーなど、妊娠中の摂取を控えるべきものは一切摂っていませんでしたし、あんなに気をつけて生活していたのに、急に誰かに頬を打たれたような気分でした。

さらに、私は夫がいる世界の裏側で暮らしながら、かつ法科大学院の在学中に、左脚を欠損した娘の母になる。それは、初めて母親を経験する私にとって、決して理想的な状況とは言えませんでした。

しかし、天からの恵みが私と夫の上に降り注がれ始めました。夫は一点の曇りもない青空のごとく、こう言ってくれました。「自分を責めるな。僕は全く何も心配していない。」と。

私には、数えきれない不安がありました。片足のないMiaに対しておむつをどのように変えたらよいかわからず、また、片足がないためにどのようにおむつをつけるべきなのか想像もできず、泣いたことを覚えています。

Miaが生まれる時には、悲しむかもしれない私の家族に対面するのは本当に不安でした。私の家族は、五体満足のマルマルと太った赤ちゃんを期待していましたから。

また、お医者さんたちは、先天的欠損の赤ちゃんの場合、健康上の問題を持って生まれることがしばしばあると私に警告していました。

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穏やかな気持ち

妊娠中、周囲には、義理の姉妹や従姉妹を含め10人の妊婦がいました。私のほかに一体誰が、「これから脚のない赤ちゃんが産まれる」と知っていたでしょうか。

しかし、私の心の奥底にあったのは穏やかさでした。その穏やかさを自分のなかに見つけることが困難なときもありましたが、いかなる事態が私たちの子どもに起きようと、私と夫は、必ずそれに対処できると確信していたのです。

Miaが誕生して彼女の声を聞いた瞬間、言葉にできなかった穏やかな気持ちは自分の強さとなり、母親としての準備ができました。それはまるで、サッカーでペナルティーキック(PK)を待ち構えるキーパーと同じ心境でした。これからMiaに対するどのような診断がくだされようと、病院の中で、どれほど長い時間のかかる治療がおこなわれようと、私には、それを受け入れる準備ができていました。

幸いにも、私自身が描いていた悲劇のドラマのようにはなりませんでした。左脚欠損を除けば、Miaは完全に近いほどに健康な赤ちゃんだったのです。ほとんどの健康な赤ちゃんと同じように、産まれてきたMiaに必要なものは、愛、ミルク、暖かさ、清潔なオムツの4つでした。

オムツに関してお話しすると、Miaの足がある部分から少し漏れたりはしますが、心配したほど大した問題ではありませんでした。心配は無駄であり、このチャレンジに関して、一日一度だけ立ち向かえば良いだけでした。

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欠損による幸福

Miaが産まれてから2ヶ月が過ぎると、私たち夫婦はMiaの左脚欠損にも慣れてきました。Miaがフィジカルセラピーを始めたことは、私が家を離れる動機となり、ようやく出産後に人付き合いを始めることができました。

Miaを週単位の治療と診察に連れ出すために、私は規律とエネルギーを得始めました。そのことによって、私は左脚欠損の子どもを持つことに慣れつつ、家庭内で複数のことを同時進行できるようになりました。それらは私にとって、母親として越えなければならない最大の障壁ではなかったのです。

私は実生活の中で、左脚欠損の子どもを見たことのない見知らぬ人達からの視線に対し、どのように直面すれば良いかを今もまだ学ばなければなりません。

しかしながら、私は他の人よりも大きな強みがあると考えています。というのは、私も昔は、ただの大勢のうちの一人にしか過ぎなかったからです。

妊娠中、お医者さんの口からMiaの左脚欠損の事を聞く前は、私はあまり四肢欠損の人々と接したことがありませんでした。四肢欠損の方と出会うときは、彼らを残念に思う気持ちを持ったり、哀れな視線で見つめてしまったりしていました。

今はその立場は逆となり、私はひどく可哀想な人と見られることがあります。少し控えめな言い方をしても、彼らのその哀れみは、私を不愉快に感じさせるものでした。

ですが本来は、誰もが哀れみを感じなくていいのです。そう、誰もがです。

なぜなら、それは無益な行為であり、お互いにとって不利益だからです。今度は、私がその哀れみの連鎖を断ち切る番です。私は、お互いの価値観を変えることを期待してはいません。ですが私は、彼らへの反応の方法を改めることができました。

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彼らの全ての視線や発言に気分を害して犠牲者になることもできますし、幸せでいる選択をすることもできます。幸せになる選択をするというのは、Miaが左脚欠損だけれども幸せになるという意味ではなく、「左脚欠損のおかげで幸せになれる」という意味です。Miaが私の人生にもたらしたこの機会を心から喜び、また許容する事ができたことで、おそらく、他人の哀れみを理解することが容易になったと感じます。

もちろん、これは簡単なことではありませんでした。まだ多くのことを理解している段階です。しかし私は、周囲の視線や発言によって傷ついたりすることを選択するのではなく、迅速に行動しなければならないとわかりました。
これは、Miaのためでした。Miaが、左脚欠損という人と違った個性を持って生きていくなかで、私は彼女の母として、彼女が自分の可能性を、一体どうやって伸ばしたり、手伝えるのでしょうか?

人生最高の選択

Miaが産まれてから、3月の寒い夕べに湖沿いをひとり歩いていたとき、私は一度だけ、自分の“不運”について、非常に醜い声で泣き叫ぶことを自分に許しました。私の記憶が正しければ、これがMiaの左脚欠損に対する、私の最後の涙でした。この日以降に私が流した涙は、Miaの驚くべき成長を見ることによってもたらされる涙へと変わります。

例えば、Miaが片脚で座ったところや立ち上がるところを見たり、義足を使って歩き出すところを見たりした時。他の子どもたちがすることと同じようなことをするために、Miaは独自の方法を探したり、「人よりも努力をする」ことを自然に学んでいます。

毎朝、Miaは目を覚ますと私に「“ママ‼︎ Miaは幸せだよ”」と言います。

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私が幸せになる選択をしたことは、これまでの人生で最良の選択だったと思います。

夫の光は、幸せでいる選択をするということは「秘密の武器」であり、それは嵐を青空に変えることができると言っていて、私もそう思います。私は、神様から第一に幸福の恩恵を受け、自身の身体の中にその強さを授かりました。

また、決して後ろを振り返らず不平を言わない夫の光、私の家族や光の家族、世界中にいる友人たち、Miaの左脚欠損の写真をソーシャルメディアに投稿する勇気を与えてくださった、尊敬するタイのChef Walter Lee(シェフ:ウォルター・リィー)。

私は彼らと、この記事をご覧いただいているみなさんに感謝しています。

みなさんのサポートは私たちを助け、四肢欠損の子どもたちをきっと力づけてくれることでしょう。

ーーー続く。

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Stefanie Santana Nagahama

Stefanie Santana Nagahama

ペルー出身。ペルーとカナダで育ち、母親であり、妻であり、娘であり、弁護士(になる予定)。娘の四肢欠損を通してより良い人間になり、思いやりと理解を深めることができるようになってきている。目標は、「"different-able”(違った方法でできる人)」の現実を示すために、「異なる人」のために「“disable”(障害)」という言葉を根絶し、「"different-able”」に変えること。