TOP > 花王の社員が50代で見つけた『ライフワーク』。2枚目の名刺を通じて見えてきたもの

花王の社員が50代で見つけた『ライフワーク』。2枚目の名刺を通じて見えてきたもの

このエントリーをはてなブックマークに追加

花王で部長として働く白石和彦さんは本業の傍ら、NPO法人二枚目の名刺の運営メンバーとして、サポートプロジェクトデザイナー(以下、SPJデザイナー)として、2枚目の名刺の活動をおこなうひとりだ。学生時代にマーケティングを学んでいたことから、新卒で入社後は、営業や販売のマーケティングなどの仕事をおこなってきた。

白石さんは2014年に、サポートプロジェクト(以下、SPJ。NPO団体等が掲げるミッションや想いに共感し集まった社会人がチームを組み、NPOの事業推進に3か月程度取り組む)のメンバーとして参加したことをきっかけにNPO法人二枚目の名刺の門を叩き、現在はSPJデザイナーとして活動する。

前編では、白石さんがSPJに参加した理由や自身の変化、本業にもたらされたメリットなどについてお話をうかがう。

50歳を機に考えた、周囲への感謝と恩返し

白石さんが2枚目の名刺の活動をはじめるきっかけに出会ったのは、2013年の50歳のとき。社内でおこなわれた50歳研修でのことだ。研修に参加した一人ひとりが、入社から現在までに起きた出来事とそのときにどう感じていたかを年表形式でまとめ、あらためてこれまでの仕事とプライベートを振り返るというプログラムだった。

これまでの人生を振り返る中で、白石さんは、自身の中にふたつの気持ちが芽生えていることに気づく。

「定年までのあと10年間、会社で何をしていこうかと考えたときに、入社から先輩方に多くのことを教えてもらったおかげでここまで来られたのだと再認識しました。

私生活では結婚して家庭を持ち、子どもも元気に成長することができた。これまで仕事とプライベートを両立して来られたのも、会社や家族、世の中のおかげだなと。周囲への感謝の気持ちが芽生えたのと同時に、これからは社内にも社外に対しても、恩返しをしていきたいと思ったんです

同時に、定年退職をしてからの人生をどう過ごしていくべきか、という点についても考えた。

「定年後、一日中家にいるのはイヤだなと思っていました。ずっと家にいられても妻も喜ばないでしょうし (笑)。定年後も、収入を得るためにどこかで働くことはできるだろうけれど、それだけというのもピンと来なかった。

朝起きてテレビを見て、外をプラプラして、たまに旅行に行ってという定年後の生き方もとても良いとは思うのですが、私の場合、それだとただ無駄に時間が過ぎていってしまうような気がして、不安になりました。残された時間を漫然と過ごすのではなく、できるだけ有効に使いたいなと考えました

P2

最初は「社会のためになることはしたいが、果たして何をするべきか?」と悶々としていた。学びなおしのため、ビジネススクールやセミナーなどで学ぶことも検討していたという。

翌年、白石さんは社内でおこなわれた花王社会起業塾(花王が若手社会起業家を支援する取り組み)の活動報告会があると知る。社会貢献に関心のあった白石さんは、何かヒントが得られるのではと思い、迷わず参加した。

そこで白石さんは、CANnet(がん・病気をわずらう本人やその家族を対象とした相談やカウンセリング、マッチングサービスなどをおこなう支援団体)という一般社団法人と出会う。代表の杉山絢子氏から、どのような活動をしているのか聞いた白石さんは、大きな影響を受けた。

「北海道で医師の仕事をする一方で、がんになった方が自分らしく生きられる社会を実現するために、一生懸命世の中に向けて活動している。本業だけでなく、他の活動をこれほど懸命にやっている杉山先生の存在を知ったことは、すごく刺激になりましたね」

はじめてのSPJで知ったおもしろさ

同年秋に、花王社会起業塾の企画・運営をおこなった社会貢献部からの社内アナウンスで、CANnetがSPJに参加することを知る。白石さんは迷わずCommonRoom(NPO法人二枚目の名刺が主催するオープンなネットワークイベント)に出席し、CANnetのSPJの第一期メンバーとなる。約3ヶ月というプロジェクトの中で、どのような活動をおこなったのだろうか。

「『入院中の方へのお見舞いギフトブック』のプロトタイプをつくりました。当初は期間中にギフトブックを完成させて欲しいという要望があったのですが、それは現実的に難しい。3ヶ月間で現実的に達成できる目標として、プロトタイプをつくることが決まりました」

メンバーで役割分担をおこない、コンセプトやビジュアル、商品選定やレイアウトなど、たたき台となるものをつくりあげた。CANnetのSPJはその後もおこなわれ、白石さんたちが作成したプロトタイプをもとにギフトブックがつくられ、現在も販売されている。

メンバー全員が責任感を持って最後までプロジェクトをやり遂げることができ、はじめての会社以外での活動で成果を得られたことに、白石さんは達成感を得た。

その後は家庭の事情で2枚目の名刺の活動を1年ほど休止。2016年には再びSPJに参加し、スポーツ協働社会貢献活動計画立案に取り組んだ。メンバーという立場だけでなく、当時募集していた、メンバーを支援し伴走する『SPJコーディネーター(現:SPJデザイナー)』に手を挙げた。

スポーツ協働社会貢献活動計画立案のプロジェクトでは、あるスポーツリーグの社会貢献活動の実現のため、日本財団と共に参加する社会人を募り、具体的に何ができるかを企画した。まったく白紙の状態から3ヶ月で企画書をつくりあげ、プロジェクト終了後には日本財団に引き継がれ、翌年には、施設の子どもたちがあるスポーツリーグとの交流をおこなうイベントが実現した。

続く2017年春には、アフリカローズ(最高品質を誇るアフリカ産のバラを世界へ届ける活動を行う会社)の第2期のSPJに、コーディネーターとして参加。認知拡大と顧客満足度向上を目指し、店舗のレイアウトやSNS運用の改善、売り上げ管理表の作成などの施策をメンバーと一緒に考え、実施した。

複数のプロジェクトに参加して感じたのは、SPJに参加したいと考えた理由や原点のようなものが、メンバーそれぞれで違うということ。

例えばアフリカローズだったら、『ブランドやお店のファンだから』という人もいれば、『フェアトレードについて知りたい』という人もいる。『世の中のためになにか良いことをしたい』という想いは同じだけれども、それぞれの想いを集約させてひとつのゴールに向かっていくことは、やりがいと同時に難しさもありましたね

P3

(写真=白石さん提供)

最初の頃はメンバーとしての参加だったが、コーディネーターという役割を担ったり、二枚目の名刺の運営メンバーとして活動したりするようになったのは、プロジェクトにかける自身の気持ちの変化からだ。

「一番はじめにSPJに参加したときは、純粋に『自分たちの取り組みでこの団体さんが良くなればいいな』という発想でした。ですがプロジェクトを通じて、自分がSPJで味わったワクワク感や、ゼロからイチをつくりあげる楽しさを、もっと多くの人に知ってほしいと思ったんです。デザイナーという立ち位置になることで、僕ができることや持っているものをより役立てて、より多くの人にSPJのおもしろさを知ってもらえたらなと考えました」

「一人ひとりの意見を聞く」。SPJで学んだことを本業へ

本業では、部長として部内のメンバーをマネジメントする立場でもある白石さん。SPJの活動で、本業にもたらした影響について聞いてみた。

P4

「どこでもそうだと思うのですが、会社の仕事だけをしているとどうしても、『ある一定の枠の中で』だけでしか、ものごとを考えなくなってしまう傾向になるんですよね。前年がこうだったから、今年もこういうふうにやっていこう、というように。現状を打ち破れと言われても、会社の中に新たな事例がたくさんあるわけではないし、何をしたらいいのかもよくわからない。SPJに参加してみて、本業での課題を解決するためには、自分の会社を飛び出して外に見にいくことも大切なんだな、と思いました。

あとは何より、周囲の人の意見を聞くようになったと思います。SPJに参加して初対面のメンバーと限られた期間で活動するなかで、やっぱり一人ひとりに異なる考えや価値観、想いがあるのだと気づきました。メンバーそれぞれの考えをよく聞くことがまとめていく上では大切だし、そうしないといいものはできないと思ったんです。そしてそれは、本業でも同じなのではないか、と考えるようになりました。

SPJをはじめてからは、社内でも部署で何かを決めたりすすめたりするときは、より一層メンバーの意見を聞くようにしています。『決まったことなのだからやりなさい』という言い方は極力しません。たとえ結果が決まっていることであっても、メンバーの意見を聞いたうえできちんと進めるようにしています。時間や手間はかかりますけどね」

自主的に参加しておこなうSPJのみならず、社内でともに働くメンバーだって「こうしたい」という理想や希望を持っているはず。会社の場合は、方針や上からの指示に従わなければいけないことも少なくないが、それをやるときでも、納得してもらったうえでやってもらうようにしたほうが良いのではないか――そんな風に思ったのだ。

そのほかにも、SPJでメンバーとの打ち合わせや作業をすすめる中で、本業では使ったことがなかったオンラインツールや共有フォルダなどを使用することもある。新たなツールの存在とそのメリットを知り、社内の業務(働き方改革等)にも活かせるのではないかとも、白石さんは気づいた。

SPJから生まれた新たな人間関係

SPJを通して白石さんが得たもののひとつに、『人との出会い』がある。自分より年下のNPO団体メンバーの「世の中を良くしたい」と活動に時間を費やしている姿、熱意やそこにかける想いなどを知り「こんな人たちが世の中にいるんだ、自分も負けていられないな」と影響を受けた。同様にSPJや、NPO法人二枚目の名刺に集まってくるメンバーにも刺激を受けている。

P5

「出会う人みんながピュアな気持ちを持っていて、自分が目指すミッションに向けてひたすらに頑張る人たちなので、とても勉強になります。プロジェクトが終わっても、今もつながりや交流のあるメンバーも多いですね。ミーティングや打ち合わせ以外でも、飲みに行ったりすることもあります。

60歳のときに学生時代の仲間や会社の知り合い以外で『友達』と呼べる存在がいる人って、いったいどれくらいいるんだろう、と思います。年を重ねるごとに純粋な友達はできにくくなっていきますし、実際には、なかなかいない人が多いのではないでしょうか。多くの人とつながることができたり、ひとつの出会いから新たに人間関係が広がったりするのは、2枚目の名刺ならではだと思います

「2枚目の名刺は、50代で見つけた自分のライフワーク。続けられる限り、これからもずっと続けていきたい」。そう語る白石さんの瞳は、前向きな希望に満ちている。

後編では、SPJの活動で大切にしていること、今後の目標、これから2枚目の名刺を持ちたいと考えている中高年世代へのアドバイスなどについておうかがいする。

写真:ハラダケイコ

このエントリーをはてなブックマークに追加
ライター

ライター

編集者

編集者

カメラマン

カメラマン

手塚 巧子
ライター
1987年生まれ。日本大学芸術学部卒業後、出版社勤務等を経て、ライター・編集者として活動中。ビジネス、社会問題、金融、女性・学生向け媒体など、幅広いジャンルにて記事を執筆。小説執筆も行い、短編小説入賞経験あり。