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「明日、会社がなくなっても生き残れる人になれ」複業LIVE!イベントレポ(後編)

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前編に続き、7月16日に開催されたイベント「複業LIVE!―見つけよう、あなただけのパラレルキャリア―」の模様をお届けします。

【前編はこちら】
「副業する権利は自分で勝ち取るもの」複業LIVE!イベントレポ(前編)

「複業って、実際どんな感じ?」パラレルワーカーによるトークセッション

2つ目のトークセッションでは、実際にいま複業(副業)をしている3名の方が登場。
複業をするようになった経緯や、そのメリット/デメリットについて赤裸々に語ってくださいました。

○登壇者
・高荷 智也さん
Twitter(@sonaeru)
株式会社エンファクトリーにてシステム開発ディレクターとして勤務する傍ら、防災アドバイザーとしても活躍。地震や津波などの自然災害やテロ・戦争に対し、個人と家庭が何をすべきかを提案する。自宅のある静岡県・三島と東京を新幹線で行き来する生活。

・高尾 理雄さん
大企業の社員として勤務しながらも、2015年に起業。 主にドラッグストアなどの業務コンサルティングを行う株式会社CMMの代表を務める。

・ナカムラクニオさん
Twitter(@6jigen)
長年、映像ディレクターとしてさまざまな番組制作に携わる。現在は荻窪のブックカフェ「6次元」の店主、大学講師、ライターなど、多岐にわたる活動を行う。

※僧侶でありながら企業でセールス担当をされている海野 峻宏さんは、法要が入ってしまい残念ながらご欠席でした。

パラレルワークをするようになった経緯は、「危機感」

セッション最初のテーマは、「なぜ、複業をするようになったのか」

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(高荷さん)

現在、防災アドバイザーとエンファクトリーのシステム開発ディレクターを兼任されている高荷さんは、エンファクトリー退職後、翌年にふたたび復職されるという異色の経歴の持ち主。

「最初、エンファクトリーの業務の一環として名前を出さずに防災ブログをやっていたんですが、震災をきっかけにアクセス数が200倍になったんです。これは、と思って本名で活動し始めたら、なんとその翌月に取材依頼がきて」(高荷さん)

そこで初めて「名前を出して活動すること」の重要さに気づいた、という高荷さん。

「当時僕は社畜だったので、本業でがむしゃらに働いていたんですが、お給料は上がらない。そこで防災の仕事に本腰を入れようと、エンファクトリーを退職しました。……ところが、1本に絞ったところまったく儲からなかったんです(笑)。今は会社に戻らせてもらって、2つの仕事を両立しています」(高荷さん)

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(高尾さん)

高尾さんからは、前職の上司から「たとえ会社がどうなっても生き残れる人間になれ」と言われた、というエピソードが。実際に当時の会社の業績が低迷し始め、「自分だけの力で働かなければいけない」と一念発起して起業したのだそうです。

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(ナカムラさん)

「僕は長らく民放のテレビ局に勤務していたんですが、30代半ばになって、上司であるプロデューサーが年下になったんですよね。辛くて(笑)。このまま死ぬのか…とか思ってしまって、思い切ってカフェを買い取った。そこから、パラレルワークという形になりましたね」(ナカムラさん)

きっかけは三者三様ながらも、「このままじゃダメだ」という思いで副業を始められた、というのが皆さん共通していた点。会場も大きく頷いていました。

複業には「自分の名前で仕事をする」という覚悟が必要

最初のトークテーマは、「実際に複業をしてみてよかったこと、悪かったこと」
ナカムラさんからは、カフェ店主ならではのリアリティのあるお話が。

「カフェって、こだわったものやよいものを提供して居心地をよくすればよくするほど、儲からないんですよね(笑)。最初はとにかくいいものを、と豆や食材にこだわりすぎてしまって、ずっと赤字で。そのバランスが難しかったです」(ナカムラさん)

本当にお金に困った時期に、食べ物を一切出さない「断食カフェ」というイベントを開催した、というエピソードには、会場から爆笑が起こりました。

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一方で高尾さんは、副業していることが会社に分かったときに「違反者扱いされ、孤立もした」のだそう。

「やっぱり、副業するにはリスクを受け入れる覚悟と、会社の看板を隠れ蓑にしないという覚悟が必要だと思います。自分の別の仕事のせいで、所属している会社に恥をかかせてしまう可能性もある。
“自分の名前で仕事をする”ことに覚悟を持たなければいけないのが、複業の大変なところですね」(高尾さん)

続いて話題は、仕事のタイムスケジュールの組み方に。
皆さん、二足のわらじになってさぞ忙しくなったのでは…?と思いきや、

「僕は逆に、パラレルワーカーになったことで自分の時間が増えました。新卒で入社してから15年間は、本当に365日働いていたので」(ナカムラさん)

「僕も同じく、前職では365日稼働していました。今の会社は完全フレックスなので、むしろ自由になりましたね。育児にも時間が割けるようになった」(高尾さん)

とはいえ、高荷さんはやはり「忙しくなった」と語ります。

「僕は18時半まで会社の仕事、そのあと防災の仕事をして、新幹線で帰るという生活リズムです。正直とても忙しい。僕は防災が趣味だからいいんですが、自分の嫌いなことで副業を始めてしまうと、死んじゃうんじゃないかなって思います」(高荷さん)

高荷さんのこの意見に対し、深く頷く高尾さん。
高尾さんは、「僕もお客さんと喋ることが本当に楽しい。働くことが楽しくて仕方ないんですよね」と話していました。

もしも明日、会社がなくなっても生きていけるか

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最後のトークテーマは、「2030年には、どんなワークスタイルが一般化しているか」

「インターネットがより発達するので、1歩を踏み出すことさえできれば、やりたいことがなんだってできる時代になるのでは。防災アドバイザーの立場から言うと、2030年までに、確実に大きい地震はきます。仮に勤めている会社が明日なくなっても、生きていける力がないと厳しいでしょうね」(高荷)

高尾さんは、「海外の人が今よりもっと当たり前に日本で働いているはず。リモートや時短勤務など、今以上に働き方も多様化していると思う」と語ります。

「時代の変化には抗えない。先ほどのセッションの話にもあったように、“動きながら考える”ことですよね。まずは新しい仕事に1歩踏み出してみて、働いていく中でそのやり方を改善していけばいい」(高尾)

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セッションの最後に、高荷さんからこんなコメントがありました。

「僕が一番言いたいのは、『誰かが見てくれるはず』というのは、ネットの世界ではありえないということ。とにかく自分は『何を、いくらで提供できるのか』というのを、積極的に発信していくべきだと思います」(高荷さん)

それを受け、ナカムラさんがこう続けます。

「発信する、ということで言うなら、自分のファンを増やすことが大事ですよね。小さくてもいいから、自分を支持してくれるコミュニティを育てること。自分を支持してくれる人が100人いれば、そこから何らかの仕事に繋がっていくと思います」(ナカムラさん)

最後に―「複業はいま黎明期。働き方はもっともっと多様化していく」

イベント終了後、主催であるPARAFTの松本さんにもお話をお聞きしました。

「来場者の方からは、“副業に興味はあるものの何をすればいいのか分からなかったので、今回のイベントがいいきっかけになった”という感想を多くいただきました。それに、やっぱり皆さん共通して、このまま会社だけに頼っていていいのかという不安を抱えていらっしゃるようです」(松本さん)

また、今回のイベントでは複数のメディアやテレビ局の取材が入っていたことを受けて、こんなコメントも。

「複業(副業)に対する世間の関心が、いま非常に高まっているのを感じますね。こういった取材も今年に入ってからぐんと増えました。複業という文化にとっては、今がまさに黎明期だと感じます。これからの時代、働き方はもっともっと多様化していくんだなと」(松本さん)

2つのトークセッションを中心にお届けした今回のレポート。
印象的だったのは、司会者からファシリテーターまで、登壇したほぼ全員が「複業家」であったこと。そして全員が、口を揃えて「複業はすごく忙しいけれど、楽しい」と話していたことです。

また、イケダハヤトさんを筆頭に「発信すること」の大切さを説く声も多く上がりました。
まずは名前を出して、SNSやブログで自分の活動を発信してみること。まさに「動きながら考える」ことが、複業家への第1歩なのかもしれません。

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豊城 志穂
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サムライト編集部
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