越境学習の主要論点
本シリーズでは、人材育成の現場でキーワードとなりつつある「越境学習」とは何か、これまでの社員研修とは何が違うのかを語れるようになるために、押さえておきたい「越境学習」の基本を全5回でお届けします。

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シリーズ初回は、「越境学習」を取り巻く議論でポイントとなっている内容について、アカデミックな論説を交えながらご紹介しましょう。

1)なぜ、いま「越境学習」が企業に重視されるのか?

今、人材育成の現場で注目を集めている「越境学習」。最近では、組織を越えて新しい活動を実施する個人とともに、そのような個人を後押しする企業も増えてきています。

その背景には、大きく、日本の環境変化における企業組織のニーズと個人のニーズの二つがあるといえます。

前者の観点で、東京大学中原準教授は、越境学習の背景には「企業の競争優位を支えるイノベーション」という喫緊のニーズがあることを指摘しました。通常の業務から離れた環境での経験が、普段の常識に捉われない思考を生み出し、それが、イノベーションにつながります。つまり、越境学習は企業における「イノベーションの源泉」として、重視されるようになったといえるのです。

他方、後者の観点として、法政大学大学院石山教授は、労働市場が大きく変化する環境では、個人のキャリア戦略として、特定の企業内での専門性と組織の壁を越えた専門性の両方を持つ人材(「組織内専門人材」)が価値を持つことを指摘しています。そして、そのような環境においては、多様なキャリアモデルに対応できるよう、生涯にわたって学び続けることが重要であると強調しています 。つまり、変化の激しい環境において、個人の主体的なキャリアを実現する方法として、越境学習が意義をもつというわけです。

これらの議論から、ますます変化の激しくなるビジネス環境において、企業組織としても、個人としても、その変化に対応していくための実践的な方法が求められており、その一つの有効な手法として、越境学習への注目が集まっているといえます。

2)越境学習を実践するのは、どんな人材か? ―「ナレッジブローカー」という人材像

このように注目の集まる越境学習ですが、過去には「それを実践しているビジネスパーソンはどんな人なのか」を巡って、懐疑的な意見も少なくありませんでした。「組織の外に出て行っているヤツは、所詮仕事のできないヤツだ」、「組織の外に出ていくのは、仕事がデキないから逃げているからだろう」という言説のもとに、越境学習が“組織から逃げる”活動として捉えられてきた節があったのです。

本当にビジネスパーソンが組織を越境する動機は、このような“逃げ”の理由なのでしょうか? 近年の研究からは、決してそうではないことが分かっています。

上述の東京大学中原准教授は、組織を越えて勉強会や情報交換会に参加している人の方が、そうでない人よりも個人の業績が高いことや、越境学習に参加しているビジネスパーソンの動機の多くが、「自分の知識・専門性を高めたいため」、「新しいアイディアや着想を生み出したいため」であることを定量的に明らかにしました。

ここでは、越境学習を実践するのは、必ずしも「ラーニングロマンチスト」*1と揶揄されるような、社内に居場所のない“できない”人材ではなく、むしろ、組織内でもバリバリ成果を出し、その上で新しいチャレンジや成長機会を求めて越境学習に乗り出す層が存在することが指摘されています。つまり、越境学習を実践するのは、新しいチャレンジを主体的に実践しながら成長していく人材として、今後も組織における重要性を増していく層であると考えられるのです。

さらに、同じく上述の石山教授は、このような越境学習を実践する人材の特徴を「ナレッジブローカー」という観点から描いています。ナレッジブローカーとは、複数の組織や共同体に所属しつつ、ある共同体での実践経験や知識を、他の組織や共同体に仲介・伝搬(「ブローカリング」)する存在です。重要なのは、ナレッジブローカーとして活動するビジネスパーソンは、その仲介行為を通じて様々な学びを得るということです。ナレッジブローカーは、組織を越える活動を通じて、多様な価値観を受け入れながら、ノットワーキング(人同士の結び目をつなぐ)をしつつ、外での実践経験を内部に持ち帰ってうまく内部に還元したり、外での新しい事例を内部でも応用したりするようになるのです。
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*1「ラーニングロマンチスト」についての詳細はパーソル総合研究所(2013)を参照

これらの調査・分析から、越境学習を実践するビジネスパーソンは、社外の知識を社内に還元する “つなぐ”人材として、企業組織に変化を起こしていく存在と考えることができます。

3)越境人材が創るコミュニティ―「実践共同体」が人材と組織の変化を起こす

越境学習を実践するビジネスパーソンは、企業の枠を越えて、新しい取り組みを主体的に起こしていく存在といえます。それでは、このような越境人材は、どうやって外での経験を内部に還元し、組織を変化させていくのでしょうか。それを明らかにするキーワードが「実践共同体」(Community of Practice)です。

実践共同体とは、簡単に言えば、「組織を越えて共通の関心を持つ越境人材が、新しい知識の交換や相互交流を行うコミュニティ」 といえます。エティエンヌ・ウェンガーは『コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』の中で、このような実践共同体が作られることで、通常の所属組織との間に下記のような組織の学習サイクルが発生することを発見しました。

つまり、社内の専門知識を持つビジネスパーソンが、社外の実践共同体へ参画することで仕事上の新しい知識やその活用方法を身に付け、それが巡って社内にも適用されるのです。越境人材たちは、まさにこのサイクルを通じて、所属組織の学習を引き起こし変化させるのです。

さらに、このサイクルを通じて変化するのは、組織だけにとどまりません。越境人材自身もまた、上記のサイクルを通じて変化・成長を遂げます。関西学院大学松本教授は、ビジネスパーソンが組織の枠を越えて実践共同体に参画することで、普段の職場から距離を取りつつ、多様な視点から自身の技能・知識・キャリア等について考えを深めることができることを述べています 。さらに、二枚目の名刺とリクルートキャリアが発表した研究調査(PDF)では、社外活動に参画するビジネスパーソンは、自分の仕事において主体性を高めたり、自身のキャリアに対する自信を向上させることが分かっています。ここでは、越境人材が様々なコミュニティの間を行き来しながら知識伝達を行うことで、自分自身の能力やキャリアへの自信を高めていくことが示唆されています。

このように、越境学習を実践する越境人材と、彼らが作り上げる実践共同体が、企業組織にイノベーティブな取り組みや変化を実現させる可能性を持っているといえます。

4)まとめ:次の重要な論点――越境学習の人材開発効果を探る

ここまで、越境学習の主要な論点を概観してきました。しかしその中で、いまだに明らかになっていない重要な論点が残っています。それは、「ビジネスパーソンが越境学習を実践すると、具体的にどんな能力を伸ばすことができるのか?」という点です。

越境学習を人材育成の一つの形態として考えるなら、社会人は越境学習を通じて、どんな能力をどれくらい伸ばすのか、人事パーソンが越境学習の取り組みを実施するにあたって、大きなポイントになると思います。

これまでは実践事例の少なさから、越境学習の効果を明らかにすることが難しかったのですが*2、近年、二枚目の名刺で実践している「NPOサポートプロジェクト」を通じたリサーチから、様々なことが分かってきました。

この点に関して、以降では二枚目の名刺で実施したリサーチ結果を基に、「越境学習を通じた人材開発の価値」を、定量データも交えながら明らかにしていきます。
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*2越境型の研修を通じた能力開発について、先駆的に定量的な調査を実施したものとしては、中原(2015)。

【参考文献】
石山恒貴(2013)『組織内専門人材のキャリアと学習: 組織を越境する新しい人材像』日本生産性本部生産性労働情報センター
―――(2015)『キャリアという言葉に抵抗を感じるあなたへ~1時間で読めるキャリア理論の実践と応用~』ヒューマンバリュー
―――(2016)「企業内外の実践共同体に同時に参加するナレッジ・ブローカー(知識の仲介者)概念の検討」『経営行動科学』29/1, pp.17-33
中原淳(2012)『経営学習論』東京大学出版会
―――(2015)「異業種5社による「地域課題解決研修」の効果とは何か? : アクションリサーチによる研修企画と評価」『名古屋高等教育研究』15, pp243-268
パーソル総合研究所(2013)「「学びマトリクス」に基づくタイプ移行の可能性」http://rc.persol-group.co.jp/activity/career/career-committee_004
松本雄一(2013)「実践共同体における学習と熟達化」『日本労働研究雑誌』639, pp.15-26.
NPO法人 二枚目の名刺 & 株式会社リクルートキャリア(2017)「副業を含む社外活動がキャリア意識に与える影響」
Wenger. E., McDermott, R., & Snyder, W. M. (2002) Cultivating community of practice. Boston: Harvard Business School Press(野村恭彦(監修)(2002)『コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識の実践』翔泳社)
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松井 孝憲

松井 孝憲

NPO法人二枚目の名刺 理事・ディレクター。「NPOサポートプロジェクト」を人材開発プログラムとして立ち上げ、企業との協働を実践する。現在は、大学との協働を通じたプロジェクトの効果の実証研究や、行政との協働を通じたプロジェクトの地域展開に取り組む。